母から学んだ「愛すること」|愛はコミュニケーションの最上級

コミュニケーション

こんにちはRinです。

今月、中目黒から横浜へ引越しすることしなり、少しバタバタしていました。

準備が大変というより、心の準備というか。

環境が変わることって、意外に緊張します。ソワソワします。

今現在の私にとって横浜の地に転居することが、自己実現の世界へ飛び出し、ライフワークスタイルを確立していくために一番必要だと確信しています。

もう一度エンジンを切って、突っ走ろうという覚悟であります。

中目黒には3年8ヶ月住んでいました。

東京に来て10年経つのですが、大学時代の時から6年世田谷→中目黒3年8ヶ月→new 横浜という感じです。

そんな引っ越し当日、朝から母より1通のラインが届きました。

「おはよう!いよいよ引っ越し!こっちは晴れよ。久々に孫ちゃんがきたよ^_^忘れ物ないようにね。」

何気ないラインには見えるのですが、私の母には孫ちゃんが一人います。

その孫ちゃんは私の兄の子どもなのですが、兄は2年前に離婚したので孫ちゃんとは離れて暮らしています。

また、兄は今年の夏に新たなパートナーを見つけて再婚しました。

離婚して、孫ちゃんは元奥様と暮らしているわけですが、孫ちゃんと母の関係はそのまま4年間続いているのです。

 

私の育った三宅家

熊本県八代市。

お水がとにかく美味しいので実家に帰ると、水道水のミネラルフォーターを必ずがぶ飲みします。

日本三大急流の1つである球磨川、山、海、田んぼと大自然の田舎で私は育ちました。

私の育った三宅家は、九州男児の超亭主関白の父と、何にでも一生懸命でとにかく子どものためならなんでもお母さんは頑張るが口癖だった優しい母。

自由奔放、要領良くなんでもこなすタイプの兄、私、スポーツ万能で女子にもモテる・やれば勉強だってできるのにやらないタイプの弟。

5年前に100歳近くで他界した曽祖母、農家の祖父・祖母も同居していたので8人の大家族でした。

大学は東京まで上京させてもらい、学費も生活費も全て両親が出してくれました。

決して裕福という家庭ではなかったと思いますが、必ず誕生日はお祝いしてくれたり、毎年キャンプやアウトドア・家族旅行に連れてってくれたり、母は毎日美味しいご飯を作ってくれました。

兄弟3人剣道をしていましたし、私自身だけでも高校では30万円の防具も買ってもらいました。

父は普通のサラリーマンで休まず真面目に仕事に励んでくれたのと、母がうまくやりくりしてくれたんだろうと大人になった今、両親の偉大さを感じます。

 

2年前の兄の離婚

2年前、兄が離婚するのを母からのラインで知りました。

「おはよー報告です。兄達、離婚します。悲しい。」

この時の私は、ハワイから帰ってきた翌日だったことを今でも覚えています。

「お友達がラインで励ましてくれてる。さすがにハワイにはラインできなかったよ!孫ちゃんを思えば悲しくてね。」

このラインをもらった半年後に、正式に離婚が成立したと連絡が来ました。

それから半年間ぐらい、たまに母とは連絡を取り合っていたのですが、鬱状態のように相当落ちこんでいました。

「私の兄の育て方がダメだったのかな?」

そんな言葉を母はよく言っていました。

母は夫婦の離婚に関しては夫婦の問題だから仕方ないと割り切れていたのですが、とにかく孫ちゃんのことが、心配で心配でたまらなかったのだと思います。

私自身は、出会いがあり、別れもあるのが人生だからみんな幸せの道に向かってそれぞれが頑張るから、お母さんも元気出して!と励まし続けました。

 

離婚後の母と孫ちゃん

離婚後は、元奥様から連絡が来た時だけ、母と孫ちゃんは会っていたようです。

元奥様は本当に素敵な方です。誰よりも辛い想いを沢山抱き、もがきながらも、母とは連絡を続けてくださり、母は孫ちゃんと会って一緒に遊んでいました。

元奥様、孫ちゃん、母の3人で福岡のアンパンマンミュージアムによく泊まりで出かけたり、動物園にも行ってるとラインをもらいました。

孫ちゃんの保育園の運動会や発表会も必ず呼んでくれていたようで、母はすごく喜んで出掛けていました。

0歳から入れる子どもの保険にも孫ちゃんを加入させて、保険料は母が払い続けているそうです。

「私にはこれくらいしかできない。孫ちゃんは一生私の孫ちゃんだから。って元奥様のお母様が言ってくれたよ。」

と涙ながらに私に話してくれた時もありました。

 

4歳になった孫ちゃんは、最近もたまに母のところにお泊りに来るそうです。4歳で、一人で泊まりに行ける孫ちゃんの強さも感じますし、2人の絆もラポールも強いんだろうなと思います。

私自身は、母方の実家の祖父祖母の家に泊まりに行くのも、小学生の時ぐらいからしか一人で行けなかったです。

 

孫ちゃんが母のところに遊びに来るたびに、母は私にラインで動画や写真をくれるのですが、

「みやけばーばのところ泊まりたい。帰りたくない。」
と孫ちゃんがぐずっている動画を母が撮りながら
孫ちゃん、もっと言って♪
と二人のやり取りを見たときに、強い愛を私は感じました。
実家には孫ちゃん専用のキッチンセットのおままごと道具や、母手づくりの布絵本・魚釣りおもちゃ・マラカスなどたくさんの遊び道具で溢れています。
こうやって笑顔で孫ちゃんと遊ぶまでに、母はたくさん悩み、苦しみ、更年期障害にもなっていました。愛する人のためにこんなにも自分を犠牲にできる母を私は尊敬しています。
孫ちゃんにもそうですが、私自身も母からは生まれたときから今でもたくさんの愛をもらって育ててもらったと胸を張って言えます。
高校生で部活動の剣道で全国を飛び回っていたときも、全ての試合や練習試合を応援に来てくれました。私が出場しないときも、必ず母は絶対に来てくれました。
朝の4時半におきてお弁当を作り、朝練に連れってくれて、家に戻り朝食。それから車で学校へ送り、21時頃に部活が終わると迎えに来てくれて夕食の時間も私に付き合ってくれました。
大学になってもそれは変わらなかったし、何かあるといつでも東京まで駆けつけてきてくれました。

兄や弟と母について話しても同じことをいうと思います。兄と弟はもちろん相当なまマザコンです。(笑)

さいごに

母はいつも「凜が毎日が楽しくて幸せな日々を送っているのならそれほど幸せなことはない」といつも口癖のように言ってくれます。

私が今、こうしていろんな挑戦ができるのも、熊本から母が見守ってくれているからです。

母の夢の一つは、

孫ちゃん・元奥様・凜と一緒にディズニーランドに行くこと
と言っています。
引越し先の横浜からはバズでディズニーまで直通で行けるので、その夢が叶う日を私は楽しみにしています。
私自身も、もっと「人を愛すること」をやっていきたいです。
人間は楽しむため・体感するために生まれてくる。
人間は人と過ごすこと・人を愛することのために生まれてくる。
先日のアワーボートセミナーで主宰小野和彦さんが話されていた言葉です。

 

コメント